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「ヴィクトール様、見てください。四葉のクローバーですよ」
「・・・ほう。これは珍しいな」


陽だまりの中、柔らかく微笑む天使に、暫し見とれながら、ヴィクトールは広い芝生の上に腰を下ろした。
アンジェリークも隣に腰を下ろし、ヴィクトールに寄りかかるようにして、手の中の小さな葉を差し出す。


春にしては珍しく、風のない穏やかな休日。
夫婦は、揃って庭仕事をしていた。
アンジェリークは、小さなスコップで花を持ち、ヴィクトールはプランターに土を盛る。
庭を持つ家の者ならば、当たり前の光景だが、二人にとっては珍しいことだった。
将軍邸の庭は個人が手入れをするには、あまりに広い。そのため、普段の管理のほとんどは、定期的に来てもらっている、庭師に任せている。
珍しい・・というのは、それが理由でもあったが、花の寄せ植えくらいは、自分で。というアンジェリークの希望で、ヴィクトールもそれを手伝うことになったのだった。


可愛らしくアレンジされた寄せ植えを、アンジェリークは満足そうに花壇の傍と、玄関脇に並べる。
花植えは終わったが、せっかくの機会だからと、二人は、別の庭仕事に取り掛かることにした。
ヴィクトールは芝刈りを、アンジェリークは草取りをしに、別々の場所に移動する。
ガラガラと芝生を刈る大きな音の中に、草けずりで土を削る小さな音を常に追いかけ、ヴィクトールはアンジェリークの存在を確認しては、可愛い妻と庭弄りをしている幸福感に浸っていた。

一息ついて、屋敷の庭を見渡す。
綺麗に整った芝生。その周りには、春の花が賑やかに咲く花壇。そして、塀を囲うように背の高い庭木が、青々とした葉を茂らせている。
憩う場所であったとしても、未だ、自分の家の庭とは思えない程、ここは立派で広い。
今日までは、忙しさに、どんな木があり、どんな花が咲いているのかさえ、気に留めることもなく過ごしてきた。
いや、忙しいかったから、というのは言い訳に過ぎない。
ヴィクトールは、自責かられるように、ため息をついた。
二人の時間を大切にと思いつつ、外に出掛けることばかり考えて、身近なものに目を向けるのを忘れていた。
実際、アンジェリークの好きな花の名前さえ、ろくに知らなかったのだから。
「私達のお家のお庭ですもの。一緒にお花を植えましょう?」
今朝、そう言ったアンジェリークの、少し遠慮がちな笑顔を思い浮かべて、ヴィクトールは苦笑した。
この庭を身近に感じ、愛でる気持ち。
そんな当たり前のことに。こうしてのんびり庭弄りをする機会がなかったら、気づかずにいただろう・・・
アンジェリークのお陰かもしれない。


アンジェリークも一段落ついたのか、デニム生地のエプロンの砂を掃いながら、ヴィクトールのいる芝生の上まで戻ってきた。
何やら嬉しそうに、スキップをしている。
その、あどけなさの残る仕草に、ヴィクトールは目を細めた。
「どうした。何かいい事でもあったのか?」
「はい!」
アンジェリークの手には、思いがけない幸運が大事そうに握られていた。


******

差し出された四葉を、手に取る。
儚く感じる、こんな小さなものに、不思議と心が和んでいくのはどうしてか。
”四つ葉のクローバーを見つけた人には幸運が訪れる”
そんな、言い伝えを信じる思いが、自分の心の中にも、息づいている証拠なのだろう。
ヴィクトールは自分の目が益々細まるのを感じながら、アンジェリークを自分の方へと抱き寄せた。


「どの辺にあったんだ?」
「あそこです」
細い指が指した場所に目をやる。
花壇の向こう側。庭木で少し陰になっている辺り。ひとかたまりになって、草が茂っている場所に、白く丸いものが、転々と咲いているのが見える。
ヴィクトールは、その花に、何処か懐かしさを覚えた。
それがいったい何なのか、思い出そうとしていると、アンジェリークが覗き込むように顔を近づけて来た。
そっと、ヴィクトールの袖の肘を引いて告げる。
「これ、差し上げます」
多分そう言うだろうと思っていたが、ヴィクトールは首を振った。
「いや。お前が見つけたもんだろ。お前が持っていろ」
「・・・いいえ。ヴィクトール様に差し上げたいんです。ヴィクトール様の幸運のために・・・」


・・・・・・・・


「・・・フッ。じゃあ、ありがたく貰うとするか」
言い出したら、とことん頑固なアンジェリークを見透かしたようにヴィクトールは眉を顰める。けれど、今回は簡単に折れることにした。
こんな風に健気に、澄んだ真っ直ぐな瞳で言われたら、それを否定することなど出来はしない。
「そうだ、アンジェ。これをいつも持ち歩けるようにして欲しいんだが・・・出来るか?」
「はい。押し葉にしておきますね」
「・・・ありがとう。頼んだぞ」
こんなことを言わずとも、アンジェリークは、"押し葉"というものにしてくれるだろう。
しかし、改まって頼んでしまったのは、これを肌身離さず持っていれば、何よりも良く効くお守りになってくれる気がしたからだ。
我ながら似合わないが、案外自分はロマンチストなのかもしれない。
ヴィクトールは柄にもなく、そんなことを思うのだった。


薄汚れた軍手をしていることも忘れて、ヴィクトールは、アンジェリークの頭に手を置いた。
いつもの癖で、くしゃっと頭を撫でようとして、ハッっとなる。慌てて軍手を外したが、アンジェリークの髪には細い芝草が、幾つも付いてしまっていた。
「あっ・・すまんな。つい」
「くす。大丈夫ですよ」
栗色の髪は、日差しでオレンジ色に反射し、柔らかな光を作り出ししている。
その光を縫うように、傷だらけの手が、一つ一つ、細い葉を取り除いていく。
ヴィクトールは、もう一度、アンジェリークを眩しそうに見つめながら、優しく頭を撫でた。


「・・・あっ。喉乾きませんか?何か飲み物持ってきますね」
「ああ・・・」
照れくさそうにアンジェリークはにっこりと微笑むと、パタパタと家の中に駆けて行った。
頭を撫でること。それが例え、子ども扱いな行為でも、彼女は何も言わず。むしろ喜んで、それを受け入れてくれる。
不器用な愛情表現だとわかってくれている・・・
ヴィクトールは自嘲気味に笑って、その背中を見送った。
あの笑顔をもっと咲かせてやりたい・・・そんなことを考えながら。


「ヴィクトール様?・・・あれ。いない・・・」
冷たい飲み物を用意して庭に戻ってきたアンジェリークだったが、そこには夫の姿はなかった。
きょろきょろと見渡すと、さっきまで自分がいた場所に、ヴィクトールが背中を丸めて屈んでいるのが見える。
その様子からして、きっと彼は、自分の分の四葉を探してくれているに違いない。
アンジェリークはくすっと笑いながら、そっと近づいて行った。
「ヴィクトール様。何してるんですか?」
頬に冷たい缶ジュースを当てると、ヴィクトールはおどけたように、少年の笑顔で振り返る。
「せっかくだから、お前の分も探そうと思ってな」
「・・・そんなのいいのに」
「だが、俺だけ貰うのも不公平だろ?」
やっぱりそうだったのかと、くすくすと笑うアンジェリークに、ヴィクトールは肩をすくめる。
そして、彼は思いがけず、昔のことを語り始めた。


「子供のころ、こうして、四葉のクローバを探したことがあったんだ。
兄弟三人で、近所の川べりに遊びに行ったとき、最初に弟が見つけたのを見て、妹もどうしても欲しいと言ってな。
俺と弟で探したんだが、夕方になってもなかなか見つからなくて、いつの間にか日が暮れていた。
何としても見つけてやりたかったんだが・・・
辺りが暗くなれば、目的な物は見つけづらくなるし、妹は泣きそうになるしで、子供心に俺は相当焦っていたんだろうな。
情けないことに、土手で足を滑らせて怪我をしてしまったんだ。ただ膝を擦り剥いて血が出ただけなんだが、妹も、弟もまだ小さかったからな。
二人とも、わーわーと大声で泣き出してしまったんだ。家に俺達がいなくて、両親は心配したんだろう。その時ちょうど探しに来ていたらしい。
泣く声で俺たちを見つけてくれたんだが、その後、親父にこっぴどく叱られたのを覚えているよ」
「その時、訳を言わなかったんですか?ヴィクトール様は妹さんの願いを叶えてあげたかっただけなのに・・・」
「いや、どんな危険な目に遭うかもわからんのに、遅くまで引っ張りまわしたのは俺だったしな。一番兄である俺が責任を負うべきだろう。俺が怒られるのは当たり前だ」
「でも・・・ヴィクトール様だってお小さかったんでしょ?」   (9歳くらい希望・・)
まるで、自分のことのように、心配そうな表情を見せるアンジェリークに、ヴィクトールは少し困ったような顔をした。
兄弟のいない彼女に、こんな話をしてもよかったのだろうかと・・
「まあ、そうだが。はは・・・。すまんな、こんな話をして。四葉で思い出して、つい懐かしくてな」
ヴィクトールは休めていた手を再び、緑の茂みに戻した。
しかし、アンジェリークは話の続きをねだる。
ヴィクトールの子供のころの話は、あまり聞いたことがなかったから、もっと知りたいと思ったのだ。
「四葉のクローバーは?その後、妹さんに見つけてあげられたんですか?」
「・・いや。何日かして、妹から貰ったんだ。暫く遊びに行くのを止められた俺に、母親と一緒に見つけたのだと言ってな。
この白い花の輪をお袋に作ってもらって喜んでいたよ。弟もきっかけを作った自分も悪かったと、俺に自分の持っていた四葉をくれたな。
結局は・・・・俺はあいつらにしてやるどころか、反対にしてもらうことになったんだ。情けない兄貴だったという話だ」
アンジェリークは、ぶんぶんと力いっぱい首を振った。心から、彼の兄弟の仲の良さが羨ましいと思う。
「そ・・・そんなことないですよ。ヴィクトール様のお気持ちが、とても嬉しかったと思いますよ」
「そうだといいが・・・。だからと言う訳ではないんだが、お前には絶対に俺の手で見つけてやりたいと思ってな・・」
それを聞いて、彼が妹を思う気持ちと、素敵な妹に対しての嫉妬心がこみ上げて来た。そして、思わず出る言葉。
「いいなぁ。素敵な兄妹で。私もヴィクトール様みたいな、お兄さんが欲しかったです」
本当に羨ましいという目でアンジェリークはヴィクトールを見る。彼は悪戯っぽく笑って言った。
「ははっ。それは駄目だな。お前を嫁さんに出来ないだろ?」
「・・・そ、それはそうですけど・・・」
その言葉に、嫉妬心も消えるほど、アンジェリークは面食らってしまった。
からかっているのか、本気なのか、真意が掴みきれないのが、彼らしくないようで、彼らしい。と。
「それに。お前が妹だったら、毎日手が掛かって心配でたまらんだろうな」
「・・・それって。今と変わらないような気がしますけど・・」
ヴィクトールは照れをごまかすように、こんなことを言って、大きく笑っていたが、その後、真剣に告げた。
「お前が寂しいと思うなら・・・・兄でも、父親でも。俺はどんな役にでもなってやるから・・・」
言葉に詰まったアンジェリークはコクンと頷いただけだった。


彼は子供のころから、変わっていないのかもしれない。
何時も真剣なところ。
責任感が強いところ。
優しいところも、
人に慕われるところも、みんな。
アンジェリークはそれが嬉しかった。


そして、二人の時間はゆるやかに流れて・・・
「アンジェリーク!あったぞ!四葉のクローバーだ!」
夕暮れの庭先で、ヴィクトールの少年のような楽しげな声が聞こえた。


四葉のクローバーの花言葉は、真実の愛。
二人の幸運の証を見つけた、春の日の出来事。


―おしまいっ―

最初は丁寧に考えましたが、真ん中辺りから、ほとんど並べているように文面で
本当に申し訳ない;;
これは、四周年イラストのイメージ創作です。
何気ない幸せ話にしたくて、こうなりました。
シスコン、ブラコンではなさそうですが(^^;仲のよい兄妹なんだろうなと。