Top > Novel > SP2のお話 > I NEED YOU > その1

今日も何一つ変わらない、穏やかな光に満ち溢れた聖地。clipart-aoihoshini-white-ao.jpg
俺は執務室の窓から木漏れ日を見つめ目を細めた。ある一枚の書類を手にしながら・・・・
ここに来てから半年か――
あの悲劇から、荒れ果てた星々ばかりを渡り歩いた空虚な年月。
ここはそんなことさえ嘘のように思える程平和で美しい。
癒されることなどないと思っていた。この場所に来るまでは。そして彼女との出逢いがなければ。
たった一つの存在――
それがゆるぎなくこの胸を支配している。


早ければ明日にでも宇宙は満ちるだろうな。

胸が痛むのを感じながらもう一度書類に目をやった。
いつからだろうか。この手で守りたいと思うようになったのは。
華奢で儚い、女王候補。アンジェリークを・・・
はじめは、ただの保護的な気持ちだったのかもしれない。
どうしてこの少女が女王候補に選ばれたのかと思うほど、何をやっても危うかったからだ。
だがそれは、最初のうちだけだった。いつしか少女は天才と謳われるもう一人の女王候補レイチェルと肩を並べ、それを追い越すまでの成長を遂げた。
控えめだが、意志の強さを感じる真っ直でひたむきな瞳。まわりを和ませる穏やかな笑顔。内出でる秘めやかな輝き。
気がつくと目が離せなくなっていた。
彼女といると心が和らぐ。手を差し伸べたくなる。自分だけではないはず。他の者達も同じように感じているのだろう。
それが女王の資質というものか。
「ハハ・・・」
俺は片手を額にやった。
自分の名を呼ぶ柔らかな微笑がまとわりついて離れない。あきれて思わず笑いが込み上げてくる。
いい年をした男が、14も年下の少女に。しかも女王になろうとしている人間に、こんなにも心を奪われいたとは。今更ながら思い知らされる。


胸の底で渦巻いていた闇が、少女の清らかな優しさで、躊躇いもなく癒されていってた日々。それが走馬灯のように駆け巡る。
過去を打ち明けたあの夜、微かに見えた白い翼は幻ではなかった。
優しい夢も、もうすぐ終わりか――
小さく呟いて再び窓の外を見ると、木漏れ日の向こうで愛しい少女が小さく手を振っていた。眩しい微笑を湛えて。
あの笑顔が自分だけのものならば・・・そう、何度思ったことか。
奪ってしまえ――
もう一人の自分が囁きかける。俺はフッとそれを苦笑で消した。
彼女が女王として何ごとにも立ち向かえる強い心を持ち続けられるよう、言葉を掛けてやること。それが教官として最後にしてやれることなのだ。
己の感情など胸の奥底に仕舞い込んでおけ。彼女は女王となるために生まれてきたのだから――


「はぁ・・はぁ・・ヴィクトール様、こんにちは」
「くくっ・・アンジェリーク。そんなに走らんでも俺はどこへも行かんぞ」
アンジェリークは窓辺で外を見ていた自分に気づき、駆け足で部屋へ入ってきた。
いつもこんな調子なのだ。何事にも一生懸命すぎる少女に、俺は笑みをもらし、からかう様に言葉を返した。
「今日は学習に来たのか?・・といってもこれ以上資質を上げる必要はもうないようだな。ああ・・今報告書に目を通したんだが、いよいよ宇宙に星が満ちるな。そうすればお前が女王になるわけだ」
「はい・・・・今育成をお願いしてきたので、明日には星が満ちると思います」
少女の顔が少し翳ったように見えたが、気づかぬふりで俺は言葉を掛けた。
「そうか・・・本当によくやったな。」
彼女の側に歩み寄り、頭に手を乗せる。柔らかな髪の感触が手袋をした手からも伝わってくる。
俺はこのまま抱き寄せてしまいそうな衝動にかられ、すぐに手を退けた。
それから少女は俯いたまま何も言わない。胸がにわかに波立つ。
「どうした。あまり嬉しくないようだが」
「い、いいえ。そんなことはありません」
慌てて顔を上げた彼女の瞳は何かを訴えているよう見え、咄嗟に目を背けてしまった。
海の色にも似た深い碧。その奥に潜む憂いは何を意味しているのか。
少女の瞳が哀しみの色に塗り変わるのが目を合わせずとも手にとるようにわかる。
本当は気づいていたのだ。少女が自分を慕っている事を。
しかしそれは愛と呼べるものではないだろう。この年頃にはよくあることだ。
年はなれたものに求める頼所、そして憧れ。父親のように、はたまた教師に抱くそれ。
きっと大人になれば忘れるだろう。それだけのことだ――
俺は自分にそう言い聞かせた。


「えっと・・・今日はお礼が言いたくてここへ来ました。こんな私が今まで頑張ってこられたのはヴィクトール様にご指導していただいたお陰だから・・・・」
暫くの沈黙の後、おとなしい少女が搾り出すように言葉を紡ぐ。けれど意志の強さを表すしっかりとした視線で。
俺は自分の目が細まるのを感じながら、その瞳を合わせ見下ろした。
「アンジェリーク・・・それはお前の努力の賜物だと思うぞ。俺はただ後押しをしたまでだ。お前は女王として立派にやっていけるさ。」
「・・・本当にそう思われますか?」
不安げに見つめかえす瞳に感情が溢れ出そうだった。抑えるために拳を上着のポケットに入れグッと握る。
「ああ。上手く言えんが、お前はまわりを和ませる暖かなオーラみたいなものを持っている。それは女王として欠かせない資質の一つだと思うぞ。」
「それに、俺の厳しい教えにも弱音を吐かずについて来たんだからな。ハハ・・意外だったが、その根性があればきっと大丈夫だ。もっと自信を持て。離れても俺はいつでもお前を応援しているぞ」
「・・・ありがとうございます。私頑張ります」
少女の顔がパッと明るくなり、頬に赤味がさした。ホッとして思わず次の言葉がついて出た。
「これから予定はあるか?よかったら、森の湖にでも行かないか。最後だしな、もう少しお前と話がしたいんだが」
少女は戸惑うような嬉しいような複雑な顔をした。しかしすぐに零れるような笑顔を見せた。
「はい。」
そして、はにかんで片手を胸に当て結んだ。自分が愛して止まないこの仕草。
「よし、じゃあ行くか」
こんな顔は見れなくなるんだな。もう二度と・・・・
微笑む儚げな横顔を見つめながら思う。せめて最後の時間はこの少女と過ごしたい。ただそれだけだ。他は何も望みはしないさ。
本当の望みは彼女を手に入れることだろう――
もう一人の自分がまた囁きかける。
だが想いを告げることなど出来る筈もない。今となってはもう――
もしそれをしたら傷つくのはこの少女なのだから。


「ヴィクトール様?」
渋い顔でもしていたのだろうか。アンジェリークは俺の顔を恐る恐る覗き込んでいた。少し息も上がっているようだ。歩調を合わせることを忘れていたのか。
「ああ・・すまん。俺から誘っておいて少し考え事をしていた」
小首をかしげる様子に苦笑いを返し、歩幅を緩めた。
「お前達がこの手から巣立っていくと思うと何だか寂しいと思ってな。卒業を迎えた生徒を送り出す教師というのはこんな気持ちなんだろうな、きっと」
俺は澄んだ空を仰ぎ、そして少女に目をやった。同じように澄んだ瞳が曇っていくのを見ると、胸が痛む。
「そんな顔をするな。寂しいがその反面嬉しいと思っている。特にお前は見違えるほど立派に成長したからな。俺の自慢だ」
「ヴィクトール様・・・・」
また何かを訴えかけるような瞳で少女は俺を見る。気づくと彼女の頭に手を置いていた。
「はは。しめっぽくなってしまったな。どうだ、少し歩くが湖の奥に見晴らしがいい場所があるんだが行ってみるか?」
頷く少女の頭をポンポンと叩き、そこへ向かう途中、俺達は他愛もない思い出話をした。いつもより饒舌気味なのは己の感情を隠すためだったのかもしれない。


「アンジェリーク、着いたぞ。」
「わぁ。綺麗・・・」
見晴らしの木がある所より小高いここは、森と湖が一望出来る。この場所は朝のロードワークのコースの一つだった。
いつかアンジェリークにこの美しい景色を見せてやりたかったが、なかなかそんなきっかけも時間もなかった。
「この時間に来たのは初めてだが、夕日がちょうど真正面に沈むんだな。緋色の聖地か・・ここは本当に夢のように美しい場所だ。」
俺は赤く染まった横顔を見つめた。儚さの中に見え隠れす強い輝き。それはきっと女王のサクリアなのだろう。
「そういえば、以前にも話したかもしれんが、お前達の新宇宙へ降り立った時もこんな風な素晴らしい夕焼けを見たな。これからはお前があの宇宙を育てていくんだ。頑張ってくれよ」
「はい、ヴィクトール様」
少女は怯まない笑顔を見せた。眩しくて正視出来ないほどの・・・
「いい顔をしているな。俺はそんなお前の笑顔が好きだ。これからは色んな苦難が待っているかもしれんが、笑顔でいることを忘れるなよ」


それから暫くこの景色を眺めていたが、日も落ちかけて来たことだし、そろそろ帰ろうかと彼女に声を掛けた。
「さて、そろそろ帰るか。最後にお前とこんな風景を見ることが出来てよかったよ。いつまでも忘れないだろうな。お前も忘れないでいてくれると嬉しいんだがな」
「はい・・・忘れません。この風景を見ていると悩みも小さな事のように思えます。とても勇気が出ました。本当にありがとうございます」
「そうか。そう言って貰えると俺も連れて来た甲斐があったというものだな」
投げかけた言葉にしっかりとした言葉を返す少女。もう迷いはなくなったか・・・
見込んだとおりだな。彼女は柳のように・・・強い。きっと立派な女王になるだろう。自分の役目もこれで終わったな。


俺はここから連れ出す事も忘れて、少女の横顔を見入っていた。
視線を遙か遠くに馳せ何を思っているのか。そして静かに俯く様子に言いようのない愛しさが胸を掠める。
伏せた睫からは、柔らかな影が落ちていた。風に揺れる栗色の髪。触れたくても届かない。近くて遠い存在の少女。
彼女がいない日常はきっと色褪せて見えるだろう。
自分には今隣にいる清らかな天使が何よりも必要だというのに。新しい宇宙はそれ以上に彼女を必要としている。
わかっていたことだが、この苦しさ拭う術はきっと見つからない。


アンジェリークは俺の視線に気づき、真っ直ぐに見つめ返してきた。
自分はどんな顔で彼女を見ていたのか・・・
何かが零れ出しそうに揺れる瞳に、俺はいたたままれず、彼女の前に出て背を向けた。
二人の間に隙間を作るように、背中で一陣の風が通り過ぎていった。
ふいに、少女が躊躇いながら小さな声で問い掛けてきた。
「ヴィクトール様は聖地を降りられたらどうされるんですか?」
思いもよらぬ問い。その訳はなんなのか――
「俺か?母星系から離れた星系のまだ若い惑星で任を受けている。そこへ行くつもりだ」
「遠いんですね・・・」
沈む声に、俺はたった一つ告げたかった言葉を口にした。本当の想いは勿論隠したまま。
「ああ、そうだな。実はこの話は受けるつもりはなかったんだが・・・。俺もお前には礼を言わなければいかんな。俺がもう一度奮起する気になったのは少なくともお前のお陰だ。アンジェリーク・・お前に逢えてよかったよ。ありがとう・・」
これだけで十分だった。出逢えてよかったんだと、彼女に伝えられた事が。


しかし、振り返えろうかというときに、背中に小さな温もりが触れた。
一瞬何が起こったのかわからなかった。考える余裕もないまま震える声が背中に届く。
「私、立派な女王様になります。ヴィクトール様が心から望んで下さるなら。でも・・もしそうでないのなら・・・」
言葉を詰まらせ、それが段々と涙声になっていくのを、俺は微動だに出来ずに聞いていた。
背中に感じるのは少女の額なのか。触れているそこが熱を持ち、体中を駆ける。
「こんな子供が想いを告げたら笑われてしまうかもしれないですけど・・・この風景を見ていたら後悔したくないって・・ヴィクトール様が私に逢えてよかったって言って下さったから・・・・本当は私、ずっとヴィクトール様と・・・いっしょに――」
「アンジェリーク!言うな!」
俺は言葉を遮るように思わず叫んでいた。これが彼女に出した真実でない答えだった。
はらはらと涙の音が聞こえてくるような気がした。
「ごめんなさい・・・」
涙を堪えた声が胸を貫く。何かが崩れて激しい感情が溢れ出る。
振り返り、小さな温もりを抱き締めてしまいたかった。だが、それは少女の言葉で遮られた。
「振り向かないで下さい」
酷く涙声だったが、おとなしい少女から初めて聞いた強い口調。俺は角度を変えていた右足を戻した。
「お願いです。このまま100まで数えて下さい。・・それまでには涙を乾かしますから。ヴィクトール様は私の笑顔が好きだとおっしゃってくださいました。嬉しかったです。だから・・・こんな泣き顔を覚えていて欲しくないんです・・・」
背中から温もりが離れ、やがてそれは足音も立てず段々と遠ざかり、そして消えていった。
俺は振り向く事も追いかける事も出来ず、言われたとおりに数を数えていた。
「・・つっ・・!!」
肩を怒らせて低く呻く自分の声に、酷く後悔していることを思い知らされる。
燃える緋がやがて紫に変わっても、この胸の炎の色は変わることはなかった。本当の答えはそこにあった。


――続く――