Top > Novel > SP2後のお話(結婚前) > 言葉には出来なくて・・


イルミネーションがキラキラと街を彩る12月。
ヴィクトールは曇りかけのガラス窓から灯りを眩しく感じながら、家路へと車を走らせていた。
女王候補だったアンジェリークと共に主星に降りてから半年ほど経っただろうか。
軍本部で将軍職についてからの彼は前にも増して忙しい日々を送っていた。
アンジェリークとは休日が合わず、ゆっくり会えた日などほとんどない。やはり随分と寂しい思いをさせている。
しかも、彼女が楽しみにしていたイブの日はちょうど出張に当たってしまい一緒には過ごせなくなってしまった・・
昨日の夜、電話でそのことを話した時のアンジェリークの落胆の声を思い出す。
滲む色とりどりのキャンドル。こんな灯りの下、賑やかな街を二人で歩きたい・・
ささやかなアンジェリークの願い。それさえも叶えてやれない・・

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「また先延ばしか・・・」

言えずにいる言葉が彼の心の中に何度となく廻っていた。


ヴィクトールの仮住まいは、軍より少し離れた場所にある。
ここへ来てすぐに新しい屋敷を与えられる予定だったが、今は保留にしてもらっている。ひとりで住むにはあまりにも広い。
何より独り身には狭い部屋で十分だ。
ポストから夕刊を取り部屋へと向かう。エレベーターはあるが、軍人気質の輩が住まうここでは使う者はほとんどいない。
カツカツと階段を上がるブーツの音が冷たく澄んだ空気の中に響く。


そのしっかりとした癖のある足音にドアの前でしゃがみこんでいた少女がすくっと立ち上がった。
「ヴィクトール様!」
「アンジェリーク?!お前・・・」
部屋の前で少女の姿を見つけたヴィクトールは予想だにの事に驚きの声を上げた。
「あの・・・住所を頼りに・・来てしまいました。」
もじもじと下を向いて。時々顔を上げてはアンジェリークはヴィクールの顔色を覗う。手には紙袋を大事そうに抱えている。
ヴィクトールは彼女の前に歩み寄り、寒さで赤くなった頬に触れようとしたが、躊躇い戻した。
「・・・どのくらい待っていたんだ」
「え・・少しです。・・・ほんの少しだけ・・」
「バカもん。こんな夜遅くに女の子が一人歩きをしたら危ないだろ。それにこの寒さだ。風邪を引いたらどうするんだ」
「・・・・ご、ごめんなさい」
ヴィクトールは眉を寄せ怒った声で言ってしまい、すぐにすまん・・と言葉を投げかけた。
潤んだ蒼の瞳。きっと彼女は自分に会いたくてこんな寒い中待っていてくれたのだろう。
はっきりと言葉を言えるような子ではないのはわかっているはずなのに。
彼女の必死な気持ちを想うと心配で、どう優しい言葉をかけてやっていいかわからなかった。
「寒かっただろ。とにかく入れ」


ヴィクトールの部屋は教官の執務室と同様。無駄なものは一切なくきちんとしていた。
相変わらずかなり殺風景だったが、住む人物を知っているせいか、冷たさは感じられない。
「今熱いお茶でも入れてやる。待ってろ」
適当に座れと指を指された場所に腰を下ろしてアンジェリークは部屋をキョロキョロと見回した。
真後ろの棚の上にはいくつかの楯と神鳥のデザインされた勲章が飾られ、そして写真立てには、随分と掠れているようだったが、顔に傷のない若いヴィクトールとその仲間達が写っていた。
これはきっと災害で亡くなった彼の友人なのだろう・・・ 水とお酒も置かれている。
聖地でのあの夜、庭園で語られたヴィクトールの過去がアンジェリークの胸に切なく蘇った。


「それか?皆が写っている写真はそれしかなくてな。以前は彼らの顔を見る事も出来なかったが、今はな。忘れないようにそうしている。その楯はあいつらに贈られるべきものだからな。写真と一緒に置いているよ」
ヴィクトールはアンジェリークがそれを見ている事に気づき静かに話しだした。そして湯気のたったマグカップを彼女の前に置く。
その顔はあの夜とは違って穏やかだった。
そんな表情に、アンジェリークの胸のわだかまりも少し小さくなった気がした。
そして彼らに心の中で手を合わせる。――お願いです。ヴィクトール様をずっと守ってあげてください――


「ヴィクトール様。あの、よかったらこれ・・・召し上がってください。体が温たまるものをと思って作ってきたんです」
「そうか・・・ありがとう。しかし随分と冷めているな。お前の手も冷たい。本当は長い時間待っていたんだろ」
「あ・・えっと」
耐熱の容器に入れてきた肉じゃがはもうすっかり冷めていた。2時間近くも待っていたのだから当たり前なのだが・・差し出した手をヴィクトールは両掌で包んだ。
「バカだな・・・」
横を向いて俯きかげんで呟き、彼はそれを温め直し、早速いただく事にした。


「あの・・どうですか?」
「ああ・・味がしみていて美味いよ。本当にな」
「よかった♪こっちはお漬物です。これは母の自慢なんですよ。私はまだ作れないですけど・・そのうち頑張ろうかなって思ってます」
「ハハハ、そのうちか・・。楽しみにさせてもらうぞ」
からかい口調で言われて、アンジェリークは赤くなって唇を尖らせた。その様子にヴィクトールも更に楽しそうな笑顔を見せる。
忙しさに追われて、こんな風に笑ったのは久しぶりだ。
殺風景な部屋に彼女と温かな料理があるだけでまるで違う場所にいるような気にさせる。
彼女との生活はきっとこんな感じなのだろう・・・
ささやかだが、ホッとできて、穏やかで、優しい・・・
守るべきものはこの少女。そして自分の居場所は彼女の隣なのだと、改めてそう思わせてくれる。


「温まる料理だな・・・特にその・・心がな。・・・わざわざありがとう、アンジェリーク」
ヴィクトールの言葉にアンジェリークは俯いて首を振った。迷惑かもしれない。怒られて連れ帰されるかもしれない。そう思っていたから・・・嬉しかった。


「ごちそうさん。さあ送って行こう」
ヴィクトールは早々に立ち上り容器を洗うと、アンジェリークにそれを返した。
「遅くなってしまって、ご両親も心配しているだろう。俺が行って謝らないとな」
「・・・・・(ヴィクトール様は何も悪くない。私が勝手に来たのに・・)」
「ん?どうした」
俯いたままの少女の頭に手を乗せ撫でる。本当はこのまま強く抱き締めて、口づけて・・・そして帰したくなどない。
けれど彼女がもう少し大人になるまでは、それをするつもりはなかった。
それにまだ将来の約束を告げていないのだから・・


「アンジェリーク?」
せっかく勇気を出して会いに来たのに・・また長い間会えなくなってしまうのに・・・このままではイヤ・・・
アンジェリークは恐る恐るヴィクトールの服の裾を掴んだ。近づくと彼の体温を少しだけ感じる・・・
まだ体が冷えたまま・・・そう言ったら抱き締めてくれるだろうか。
たまに会えても、彼は抱き締めてもくれない・・。「好きだ」と言われたあの日だけだった。


勿論キスなんてまだしたことがない・・。
自分が子供なのはわかっている・・・
でも、ちょっとだけでもいい。愛されている証拠が欲しいと思うのはいけないことなのか・・
けれど、アンジェリークは結局何も言えないまま、そっと顔を上げた。
そこには、少し困った琥珀の瞳が揺れながら自分を見つめていた。
泣いていたのだろうか。彼の指がそれをぬぐっていく。
「寂しい思いをさせてすまないと思っている。・・・だがな、今からそんなに泣いているようじゃ、俺の妻・・・・いや・・その、心配だな」
「え・・」
ヴィクトールは言葉を濁すと、愛おしい感情を隠すように、上着を勢いよく羽織った。
それと同時に手帳が落ちて、ポケットになった部分が開く。
「あ・・・」
慌てて拾おうとしたが、アンジェリークの方が先だった。そこには夏に動物園でデートした時、彼に撮ってもらった写真がはさんであった。
「・・・見られたか。その、な・・まあ俺も似たようなものか。いつもお前を側に・・と思ってな」
「ヴィクトール様・・・・ぅ・・ぅぅ」
彼も自分と同じ気持ちだった。嬉しくて切なくて涙が止めどもなく溢れてくる。
ヴィクトールの胸に飛び込む勇気は勿論ない。でも、その代わりアンジェリークは更に強く彼の服を握った。
「お、おい。頼む。そんなに泣かないでくれ。どうしていいかわからなくなるだろ」
戸惑う上ずった声。彼を困らせてしまう。そう思ったアンジェリークは一生懸命涙を堪えようと唇を噛んだ。
震えるアンジェリークの両肩にヴィクトールはそっと手を乗せる。
近づく吐息。アンジェリークは心臓が爆発しそうなくらい高鳴って固く目を閉じた。

でも・・・・
触れたのは瞼。そして、温かい唇が丁寧に滴をぬぐう。
嬉しかったけれど、何だか急に体の力が抜けてしまった。目をあけると、ヴィクトールは宥めるように穏やかな微笑を見せてくれた。
滅多に見られない彼の表情。とても好き。でも欲しいのは優しい笑顔ではない・・・
そんなに自分は子供で魅力がないのだろうか・・
胸の鼓動が今度は不安で早くなる。


「これを着ろな」
椅子に掛けてあったクリーム色のコートを、ヴィクトールはアンジェリークに着せようと彼女の身体に掛ける。
されるままに渋々と袖を通して、アンジェリークは彼の瞳を見上げた。
「今度はいつ・・・会えますか?」
搾り出すような小さな声に、ヴィクトールは告げるのを躊躇する。だが、嘘はつきたくない。
「・・そうだな・・年が明けてからになってしまうか・・」
「・・・・・」
「すまん・・・電話はする。なるべく毎日な」
「ほんとうですか?でも・・ヴィクトール様お仕事お忙しいのにいいんですか」
「ああ。構わん。そのかわり、つまらん話しか出来んぞ。いいのか?」
無邪気にキラキラと瞳を輝かせ頷く少女。さっきは泣いていたというのに・・女の子と言うのはまったくよくわからない。

ヴィクトールはフッと小さく笑った。
悲しそうな表情に慌ててフォローして、こんな約束をしてしまったが、声を聞きたいのは自分も同じなのだから仕方がない・・
「そうだな。時間を決めるか。何時がいい?」
「えっと・・じゃあ。10時すぎごろに」
「そんなに遅くに迷惑じゃないか?」
「いいえ!一日の終わりに、ヴィクトール様のお声が聞けたら・・安心して眠れそうだから・・」
何気なく可愛い事を言う時だけ、アンジェリークの瞳は真っ直ぐにヴィクトールを見つめる。
だが、次は決まって恥かしそうに下を向いてしまうのだ。
「ハハ・・そういうものか」
ヴィクトールはコートのフードをアンジェリークにボスッとかぶせて、照れを隠すように、頭をポンポンと叩いた。
もがきながら小さく悲鳴を上げて、前髪を必死に直そうとする少女の仕草。
込み上げる激しい感情が、フードの襟元を掴んだ手にこもる。抑え込んでも、今夜は溢れる愛しい想いは止められそうになかった。
手が・・唇が震える。この歳になってこんな風になるなんて、笑うだろうか。


ヴィクトールはアンジェリークにそっとそっと想いを重ね合わせた。
瞬間、少女の体が驚きで強張る。その様子に彼はすぐに唇を離した。
触れたのか触れなかったのかわからないほど一瞬の事で、アンジェリークは目をぱちくりとさせている。
ヴィクトールは目を細め、ぎこちなく抱き寄せた。最初は優しく包み込んで・・次第に腕に力を込める。
「ア・・ンジェ・・」
愛しいぬくもりに言葉さえも出てこない・・
時間が止まったかのように思った。感じるのはお互いの胸の鼓動。

「こうして・・欲しかったか?」
腕の中でコクンと頷く少女を、ヴィクトールは再び想いをこめて、強く抱き締めた。
欲しかったぬくもりがアンジェリークの胸を満たしていく。
「俺は・・言葉にするのもこうして態度で示すのも上手くない。・・だがな、何よりもお前を大切に想っている。それだけはわかってくれるか」
「はい・・・」
好きとか愛しているとかそんな言葉よりも、ずっと心に沁みる彼の想い。
自分は何もわかっていなかった。ヴィクトールの気持ちを。気遣って大切にしてくれているということを。
ずっとこうしていられたらいいのに・・アンジェリークは、震える腕で思い切って大きな背中に手を回した。
しばらく二人はそうしていた。ヴィクトールは静かに身体を離して、遠慮がちにアンジェリークの手を握る。
今言わなかったらこの間会った日と同じだ。それに、次の年に持ち越してしまう・・
意を決したヴィクトールは彼女に気づかれないようにひとつ深呼吸をした。


「クリスマスに会えたら言おうと思っていたんだが・・ダメになってしまったからな。・・今言ってもいいか・・?」
「ヴィクトール様・・」
照れくさそうにヴィクトールは目を泳がせている。小さな期待を胸にアンジェリークは大きく縦に首を振った。
そしてナイーブな彼の心を包むように、もう片方の手をヴィクトールの手に重ね合わせる。それに彼は小さく頷くと真剣な眼差しで告げた。
「アンジェリーク。俺と一緒になってくれ」
飾ることなど一切ない言葉。それが力強く真っ直ぐにアンジェリークの心を射抜く。
「はい・・ヴィクトール様
涙で声にならないような、か細い答えだったが、暖かく彼の心に伝わった。
「ありがとう・・俺は何が起ころうとも必ずお前を守る。約束しよう」


部屋を出るとき、ヴィクトールは昔の写真を振り返り、複雑な笑みを浮かべながら心の中で問い掛けた。
――聞いていてくれたか。俺はお前達を守れなかった。だが、今度は彼女を命に代えても必ず守り通す。
・・・それが酬いになるとは思っていない。だが・・許してくれるか。幸せになる事を・・・
もし許してくれるなら見守っていて欲しい、俺がお前達の所へ逝くまで・・ずっとな――


それからアンジェリークを家に送り届けるまで二人に言葉はなかった。
滲んだ灯りがいくつも通り過ぎていく。特別な夜に会えなくても今は、もう寂しくない。こんな灯りの下、二人の心は繋がっているのだから・・
アンジェリークは助手席のガラス窓に小さく小さく、指で文字を書いた。
すぐに曇って消えてしまうけれど、言葉には出来ないから・・「スキ」と何度も同じ場所に冷たくなった指で綴った。

 

アンジェリークの家に着いたころには雪が降り始めていた。薄っすらと辺り一面が白くなって明るく見える。
ついこの間付き合いを認めてもらったばかりだというのに、ヴィクトールはどうしても気が急いてしまい、彼女の両親の前で頭を下げた。
突然の事で両親は、特に父親の方は渋っていたが、誠実なヴィクトールに折れる形となって結婚を認めてくれた。


「お前のご両親に挨拶をするのは日を改めてからの方がよかったな。こんな夜遅かったし・・それに手ぶらだったしな・・」
ヴィクトールはしきりに頭を掻く。彼らしい言葉にアンジェリークはクスりと笑った。
「いいえ・・・きっと両親はわかってくれています」
そうか・・そうだといいがな」
「・・ごめんなさい。パパが、あんなこと言って・・」
「ああ・・いや。親父さんの気持ちもよくわかるよ・・お前のような可愛い娘だったら、俺も同じことを思うだろう。こんな歳離れた男だしな・・」
「ヴィクトール様ぁ・・」
「ハハ・・すまん。それは言わない約束だったな」


門の前に立つ二人の間に粉雪が優しく舞い降りる。
やっぱり違う場所に帰るのは寂しい。アンジェリークはもう一度ヴィクトールの上着を掴んだ。
「親孝行たくさんしておけよ・・それからな・・・・今度会う時はもう、そんな風に泣かないでくれよ」
「はい・・はい・・」
ヴィクトールは、懸命に涙をこらえるアンジェリークの髪を撫でながら、雪をはらった。
「風邪を引かないように暖かくして寝るんだぞ。おやすみ、アンジェリーク・・・」
言葉の代わりにヴィクトールはそっと頬に口づけた。
少しカサついた彼の唇。その感触が残る頬に手を当てて、アンジェリークはいつまでも彼を見送り続ける。


その頃ヴィクトールは、ガラス窓に”スキ”と浮かび上がった文字を見つけ、暖かな微笑を浮かべていた。


”愛している”言葉に出来な想いは、ベルになって今夜もアンジェリークに届く。
二人が一緒に暮らせるその日まで・・・


――終わり――

*言い訳*(01.11.22)
ヴィク様いつもと違う・・笑
でも私の中ではコレが本当・・コレットが口火なのはいつもと変わりませんけど(^^;
たまにはこういうのもいいですかねぇ。かえって照れます。
素晴らしくじれったいですがくそ甘くしたつもりです。
コレットは超内気ちゃんぽくしてみました。