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1.
目が覚めたとき。
見慣れない天井と、あまりにも広すぎる空間に、アンジェリークは目をぱちくりさせた。
体を起こそうとした瞬間、何かとても大きなものに抱き締められる。
「気が付いたのか。よかった・・・」
低くかすれた声の人の顔を見たら、右側に走る一本の大きな傷跡が目に入った。
精悍な面立ち。琥珀にも似た金色の瞳に、鋭い眼光、太い眉。鬣のように後ろに流した暗いボルドーの髪。
随分と年上で、今までに見たこともない男の人だとアンジェリークは思った。
「昨日からずっと目覚めないから心配したぞ。まったくお前は・・無茶をする」
厳つい形相のその人は、見かけとは違って気さくな口調で話しかけてくる。
「どこか痛いところはないか?苦しいところは?」
いいえと首を振る。
低く響く声は、怒ったらきっとすごく怖いのだろうと思ったけれど、優しく気遣う言葉にその思いはすぐに消えた。
肩を掴まれている腕にそっと触れたら、とても暖かくて、アンジェリークは何処か懐かしい安らぎを感じた。
父親に感じるものとは違う、何か・・
でも、こんなに近くに男性がいるなんて初めてのことで・・しかも抱き締められたなんて、急に恥ずかしくなったアンジェリークは頬を染めて俯いた。
立派な軍服を着ているようだし、帰り道で転んだりして迷惑をかけたのかもしれない。
「あ・・あの。私、何かご迷惑をおかけしたみたいで・・。すみません。えっと・・ここは何処ですか?」
「な・・に?」
男の人にまじまじと見つめられた。
優しかった表情は強張り、瞳の奥が怒りなのか悲しみなのかどちらともいえない色で埋め尽くされていく。
やっぱり・・・怖い。
「アンジェリーク・・・」
「はい・・あの・・・?」
「ここは、お前の家だが・・・」
「えっ・・・だって・・え・・?」
自分の家はもっと小さな家で、部屋といってもリビングが少し広いだけだ。ここみたいに何畳なのかもわからない程、広くはない。
ましてや、こんな大きなベッドで寝ていたこと自体が信じられない。
夢でも見ているんだろう・・。きっと。
アンジェリークは必死にそう思い込もうとした。
けれど、許されそうな雰囲気ではない。
「俺のことは・・わかるか?」
「いいえ・・・あの・・・貴方は誰ですか?」
・・・・・・・・
沈黙が流れた。軍服の人は俯いてしまって重苦しい空気が漂う。
――どうして私の名前を知っているの。この人はいったい誰。
「・・・・・俺は・・・ヴィクトールだ。思い出せないのか?」
「・・・ヴィクトール・・・さん?・・・ごめんなさい。私・・・」
それから。
年齢だとか、学校のこととか、色々聞かれたけれど、ヴィクトールという人は、全く辻褄が合わないといった顔をしていた。
胸が痛くなるのはどうしてだろう。
まだ、恋も知らないアンジェリークは、そんな切ない気持ちに戸惑いながら、胸の前で手のひらを結んだ。
その仕草に、彼は少し微笑んだけれど・・
どうしてこんなことに―――
俺の・・せいだ・・
そう、地を這うような声で呟いていた。
***
昨日。
ガレージに入れてあった車を、屋敷の庭まで移動させ、広く明るいところでタイヤの履き替えをしていた時だった。
アンジェリークも手伝いたかったが、力仕事のため出来ることは少ない。
それでも、何か役に立ちたいと、少し汚れていた車体を拭くことにした。
ルーフに手を伸ばしている時、低い脚立だから大丈夫だろうと思っていたのが甘かった。
ヴィクトールはバランスを崩したアンジェリークに気づき、辛うじて抱き止める。
しかし、その時、陶器の鉢植えに肘を突っ込んで、割れた大きな破片を腕に刺してしまった。
滴る血が地面に落ちて、赤い染みを作っていく。
ああ、随分と久しぶりだと、ヴィクトールはその流血を見て、冷静にそんなことを思っていた。
皮膚に食い込んだ破片を抜いて、アンジェリークの手にあった車用のクロスを巻いて止血をする。
ズキりとした痛みが来たが、傷はそう深くはなさそうだ。この程度なら、数針縫うくらいで済むだろう。
淡々と傷の手当てをするヴィクトールを、アンジェリークは茫然と見つめる。
それに気づいて、彼は少し困ったように笑った。
「アンジェリーク。怪我はないか?・・ハハ。ちょっと憶測を誤ったようだ。花・・ダメにしてしまったな・・」
「・・・っ・・・ヴィクトール様・・私のせいで・・こんな・・」
「・・大丈夫だ、心配ない。このくらいのことは慣れているからな。お前には、驚くことかもしれんが・・」
夫が怪我をし、血を流す光景を目のあたりにして、相当ショックだったのだろう。
ヴィクトールは、ガクガクと震えて立てなくなったアンジェリークの腰を怪我をしていない方の腕で支える。
「念のため医者を呼ぶから・・・そんな顔をするな」
「・・・・・は・・い・・・」
アンジェリークは、震える手で傷口に触れようと手を伸ばした。
!?
その一瞬。白い何かに包まれた。暖かなものが、傷口を撫でて、そして・・・小さなつむじ風が、枯葉を巻き上げ消えていった。
「いったい・・・何が起こった?」
ヴィクトールは慌てて腕で支えていたアンジェリークを見た。蒼白になって気を失っている。
「おい!・・・アンジェ!?」
驚いたことに、腕の傷は、何事もなかったように消えていた。
地面に落ちた血痕も、真っ二つに割れたはずの鉢植えも元通りになっている。
「・・・どういうことだ?」
それはアンジェリークの仕業なのだとわかるまで、随分と時間がかかった。
***
「・・・時間を戻した・・ということですか」
「ええ・・多分そうでしょうね~。ほんの数秒ですが、時空の歪みの痕跡がありますから・・」
それがあのつむじ風だったのかと、枯葉で微かに切れた頬の瘡蓋に触れる。
ヴィクトールは、あれからすぐに聖地に出向いた。
というより、呼び出されたのだ。
平和な主星で、僅かでも歪みが観測されれば、すぐに王立研究院が異変を感知する。
それが元女王候補の住む家から、サクリアも同時となれば尚更のこと。
アンジェリークは生まれながら女王の資質を持っていたわけではなく、急にその力に目覚め、女王候補に選ばれたのだという。
彼女の力は、アルフォンシアに還され、僅かに残ったサクリアは地上に降りれば静かに衰退し、やがて消えるだろうと
しかし、本来女王となるべきだったその力は例え僅かだったとしても、未知なるもの。
無意識のうちに、無理やり力を引き出したのだとすれば・・・
「アンジェリークにとって大きな負担になったと、そういうことですか・・」
「ええ・・力の枯渇が心身に影響を及ぼしたのでしょう。サクリアを有していた時間ごと記憶を無くすという例は調べてみないことには・・・しかし、興味深いですねぇ。ほとんど無くなった力が愚見化するなんて・・」
事情は、地の守護聖が説明してくれた。だが、こんなことになって罪にはならないのだろうか。
ルヴァはヴィクトールの不安に答えるように付け足した。
「ですが、貴方の怪我を治しただけの一時的なもののようですし。データではアンジェリークの力の数値は無いに等しいです。もうこのようなことは起こる心配はないですから・・それは安心してください」
「痛み入ります。・・申し訳ありませんでした、ルヴァ様。お手を煩わせて」
「あ~気にしないで下さいね。こちらこそ、力になれずにすみません。・・確証ではありませんが、心意的ショックならば、記憶が戻る糸口は・・きっと見つかると私は思いますよ~。何かわかったら、またこちらから連絡をしますね」
「・・・はい。・・・ありがとうございます」
幾つかは来るだろうと思っていた。この手で翼を折ってしまった報いが・・・
女王にさせるべきだったのか・・そんなことはもう思わないが、
これから彼女とどう向き合ったらいいのか。
すぐに答えなど見つかるわけもなく・・やるせない気持ちばかりが募る。
ただ、振り出し以下になってしまうのも覚悟しなければならない。
真実を告げれば、彼女が自分を責めてしまうのは明白なのだから。
――俺なんかのために、無茶をしたもんだ。
ヴィクトールは懐かしい聖地の空を仰ぎ見て、大きくため息をついた。
つづく
*あとがき*
逆行性健忘症なアンジェです。無理やりな設定プラス。ルヴァ様ごめんね;
どのジャンルの二次創作でよくある記憶喪失ネタ(しかしシリアスはかけない)
ヴィク様も、アンジェでもそういうお話を拝見した記憶はあるのですが・・。
自分の文章で書いたらどうなるだろう。いつか書いてみたいなぁというのがずっとあったので、
ネタかぶりは承知の上で、書いております・・申し訳ないほどヘボいです。
新婚シリーズの番外編扱いなので、R指定要素も入る予定です・・多分