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2.
アンジェリークは、ベッドから起き上がり、ドレッサーの鏡に自分を映した。
髪が伸びて、少し大人ぽく見える以外はあまり変わっていないような気がする。
はあ・・・ため息が出る。
ついさっきまでここにいたのは、優秀そうな女医と、初老の執事だった。
検査の結果、体に異常は見られない。
記憶障害なのは精神的なもので、何時とは断言出来ないが、普段通りに生活していれば、いずれは戻るというようなことを言われた。
執事はヴィクトールという人のことを詳しく話そうとしたようだが、アンジェリークは断ってしまった。
どうしてなのかわかないけれど、彼の口から聞きたいと思ったからだ。
今、アンジェリークにわかっていることは、二つだけ。
転んで頭を打ったせいで、高校年2年の時から3年分の記憶を無くしてしまったこと。
王立派遣軍の将軍様と結婚して、もう二年近くここで暮らしているということ。
けれど、どうしてそんなことになったのかは、わからない。
自分の夫だという人は、あの後、すぐに出かけて行ってしまったから。
こうして広い寝室の中に一人でいると、大きな籠の中に取り残された気分になる。
カーテンを開けてテラスに出れば、立派な屋敷の庭が見渡せた。
冷たい風が心地いい。
背伸びをして、左手を空にかざす。薬指に嵌っている証は、まぎれもない事実なのだろうけど。
信じられなくて、心が付いてこなくて、アンジェリークは泣きたくなった。
――20歳の私なら、あの人に少しでも釣り合うの?
会ったばかりの人にこんなことを思うなんて。でもそれは、彼の地位の高さからなんだろうなと、ぼんやり考える。
額と頬の大きな傷が痛いくらい印象的な・・・
とても大人で逞しくて、怖そうなのに、優しそうな人・・・
もうすでに、ヴィクトールに惹かれていたことを、この時のアンジェリークは気づかなかった。
**
「俺を待っていたのか?」
聖地から戻ったヴィクトールは、玄関ポーチでそっと佇む存在を見つけて忙しく駆け寄った。
アンジェリークは小さく会釈をして、おかえりなさいと呟いたようだった。
まさか記憶が戻ったのかと思ったが、いつもの笑顔がないことに気づく。
どんな時でも妻のおかえりなさいは、笑顔だ。
ここにいるのは昨日までの彼女ではない。
見上げてくる瞳は出会った頃の同じで、とても不安げだ。
変に意識しては、かえって彼女に気を遣わせてしまう事になるだろう。
ならば、普段と同じように振る舞った方がいいのかもしれない。
そしてアンジェリークのさせたいようにする。
これからどうするべきなのか、意外と早く答えを出せて、ヴィクトールは少しほっとした。
「ただいま、アンジェリーク。もう起きても平気なのか?」
「はい・・大丈夫です」
「顔色もよさそうで安心した。・・・・あのな。執事から色々と聞いていると思うが・・・」
「いいえ・・貴方からお話を聞きたかったので、執事さんの申し出はお断りしたんです。だからまだ何もわからなくて・・」
「・・・・そうか」
フっ・・と、ヴィクトールは笑みを漏らした。
せめて、怖がらせないように、執事に自分達のことを話して欲しいと頼んでおいたのだが、取り越し苦労だったようだ。
「あの・・ごめんなさい。いけなかったんでしょうか」
「君は・・・。いや・・お前らしいと思っただけだ」
記憶をなくしてもアンジェリークはアンジェリークか。
こんな年上の厳つい男が自分の旦那だと知って、ショックで逃げ出したっておかしくないだろうに。現実を受け入れる気でいる。
相変わらず、そういうところは肝が据わっているのか天然なのか。
そんな不安そうな顔をしているくせに、少しは警戒したらどうだと、ヴィクトールは言葉の代わりに、アンジェリークの頭にポンと手のひらを乗せ、くしゃりと撫でた。
「あぁ・・すまん・・いつもの癖でな」
あたふたと真っ赤になる様子に、お道化た振りで、すぐにその手を引いた。
少なくとも、恐怖心は持たれていないと安堵しながら・・
「食事でもしながらゆっくり話そうか」
今日の夕食は久しぶりに使用人たちに手配を頼んだ。
照れくさいのを我慢しながら、ヴィクトールは二人の生い立ちを話して聞かせる。
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まさか、そんな劇的な展開が自分の人生に起こっていたなんてアンジェリークはただただ、びっくりした。
内気で何の取り得もなかった自分が女王候補に選ばれて、それだけでもすごいのに、試験に勝って宇宙の女王様になるはずだったなんて。
そんな大変な事があった中で、教官として指導してくれたこの人と恋に落ちて、女王の座を蹴ってまで、その恋を貫いたなんて。
やっぱり今の自分からしたら信じられないことだ。
アンジェリークはめまいを起こしそうになった。顔がやたらに熱い。
「・・・大丈夫か?」
「はい・・・でも・・本当のことなんですね」
確認するように呟くと、ヴィクトールはしきりに頭を掻いていた。
「まあ、そうでもなければ、お前のような若い娘と一緒になるなんて、なかっただろうさ」
「・・・・・」
「どうした・・?」
――なんか今傷ついたかも・・
「・・・・あ!?・・す、すまん。そういう意味じゃなくて、だな・・言い方が悪った。・・・謝る」
少しむすくれた上目遣いのアンジェリークに気づいて、ヴィクトールは慌てて弁解する。
彼は照れ屋なのかなとアンジェリークは思った。心なしか顔が赤くなっている。
「・・・お前が女王候補だったからどうとかじゃないんだ。・・お前の優しさで、俺の心は救われいる・・ずっと・・・今もな」
照れた顔から、ふっと優しい表情がアンジェリークに向けられる。今の自分をも気遣ってくれているような気がして・・
その言葉が、なんだかとても嬉しい。
アンジェリークは頬を染め、下を向きながら、心の中で微笑んだ。
男性とまともに話したことなんてなかったのに。今日初めて会った人なのに・・
こうして自然と会話が出来ているのが不思議だった。
気さくで落ち着いた大人の人だから、話し易いのかもしれないけれど・・
不思議な安心感に包まれている気がする。それは最初から感じていたことだった。
すべて忘れてしまったわけではない。二人が積み重ねてきたものが、記憶の欠片として、自分の中にあるからなのだろう。
年の差があっても、本当に仲の良い夫婦なんだろうなと、他人事のように羨ましく思った。
仲が良い・・・
自分の両親のことが浮かぶ。記憶をなくしたなんて言ったらきっと悲しませてしまう・・・
そんな時、タイミングよくヴィクトールが問いかけてきた。
「ご両親に会いたいか?」
「・・・え?」
「お前の中では、昨日まで一緒にいた家族だろう。帰りたかったら、そうするといい」
――どうして?
何故彼はそんなことを言うのだろう。アンジェリークは動揺した。
「・・こんな知らない男と、いきなり暮らすなんて、出来ないだろ?」
「そんなこと・・・だって貴方は私の旦那様なんですから・・」
「ハハ。そう言ってくれるのは俺としては嬉しいんだが・・・簡単に受け入れられるもんじゃないだろ。無理はしなくていい」
「・・・でも、両親には心配かけたくないんです」
「そうか・・・だが、お前にとって、良き相談相手になってくれるはずだ・・考えておくといい」
「はい・・」
穏やかでも、有無を言わせない大人目線の彼の言葉は、どれも最もだ。
でも気遣いは建前で、本音は違うのではないか。
彼の瞳が優しくて少し寂しそうだったから、アンジェリークはそう思うのだった。
食事が済んで、アンジェリークは自分の部屋だという所に案内された。
この屋敷の中の間取りにしては、こじんまりとした空間で、正直ここの方が落ち着く。
机の棚には、いつもの教科書ではなく、知らない教本が何冊も並んでいた。
「お前は今大学に通って栄養学を学んでる。栄養士の資格を取りたいと言ってな」
「そうなんですか・・・?」
「ああ。俺のためだなんて言っていたが・・元々料理が好きだからな。お前は」
まだ自分に将来の夢なんてなくて、好きな人のお嫁さんになれたらなと漠然と思っていただけだった。
「そういえば、その前のお前の夢は・・・・お嫁さん・・だったかな。違ったか?」
「・・な///」
この人・・・・って。よくわからない。自分はからかわれているのだろうか。
そのわりに、屈託のない笑顔を向けられて、アンジェリークは困ってしまった。
さっき夕食を共にして思った。意外とよく笑う人なんだって。
それに、彼の食事量は相当なものだったから。
これだけ大きく逞しそうな体を保つには当たり前なのだろうけど。
奥さんなら、きちんと健康管理をしたいと考えるのは、今の自分にもよくわかる。
それほどに、未来の自分は彼をとても愛しているということも・・・
アンジェリークは慌てて背を向けて、教本に手を伸ばし、読む振りをした。
本を手に取るアンジェリークの後姿をヴィクトールは静かに見つめていた。
「お前は自由だ。俺に縛られる必要はない・・・」
ふと、そんな言葉がついて出る。
「え?」
振り返る瞳は、戸惑いで揺れていた。
「そんなようなことを・・以前言ったことがある。やりたいことがあれば、お前の人生だから好きにしてほしいと。女王となるべきだったお前をかっさらった男の代償としてな」
「・・・」
「今のお前にも、言えることだ。だが・・何があってもお前を支えたい。だから・・・少しずつでいい。俺達のことを思い出してくれ」
さっきのからかう空気が嘘だったかのような、真剣な眼差し。
突き放されたのかと思ったのに・・ずるいと、アンジェリークは思った。
少し不器用で、優しいけれど・・何処か寂しそうな人・・・
まだ短い間だけれど、こうして一緒にいて感じるヴィクトールはアンジェリークにとって、そんな印象だった。
どうして、この人を好きになったのか、少しわかったような気がする。
「ヴィクトール・・さ・・・」
「ん?」
「あの・・・ヴィクトール様とお呼びしてもいいですか?」
「あ・・ああ。そうしてくれ」
「ありがとうございます・・・」
ふわりと、彼女は笑顔を見せた。記憶を失ってから初めて見る笑顔。少し幼く見えたが、儚い微笑み。
いつものアンジェリークにしか見えなくて、ヴィクトールは抱き締めたい衝動を必死に抑えていた。
つづく
*あとがき*
初心な気分で書いてます。でも今後はまだほんと未定・・( TДT)
うちのヴィク様は器が大きな人でもなんでもないんです。
甘ったるいだけの人にしか書けないから諦めてるんだけど・・
アンジェの心理描写は17歳なのかどうなのかも微妙・・打ち解けるの早い気がするけど・・話し進まないしね